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高松地方裁判所 昭和31年(ワ)246号 判決

主文

被告は原告に対して金一二万円及びこれに対する昭和三一年一二月一五日からその支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をなし、且つ別紙第二目録記載の書面を香川県香川郡香川町役場掲示板附近の原告指定の個所において引続き三日間掲示せよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第一項中の金員支払の部分及び前項に限り原告において金四万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

(一)  先ず本件における事実関係をみるに、被告が昭和三〇年春頃原告の妻である君枝と情交関係を結び、その後若干期間その関係を継続していたことは、当事者間において争がなく、又成立について争のない甲第一号証に、証人中井君枝、同向原伝、同田村繁敏、同野口次夫の各証言、原告本人訊問の結果、及び被告本人訊問の結果の一部を綜合すると、次のような各事実を認めることができる。即ち、

(1)  原告(当四八年)は昭和一二年八月一二日妻君枝(当四〇年)と婚姻をなし、爾来約二〇年間その間に二男二女をもうけ、田約五反歩を耕作する傍ら、妻とともに豆腐製造卸業に従い、昭和三〇年頃には相当の収益をもあげつつあつて略々中流の生活を営み、親子夫婦いずれも円満にして平穏なる家庭生活を楽しんでいたものであること

(2)  被告(当四五年)は妻との間に子女数名をもうけ両親と同居しつつ農業に従い、田六反畑五畝を耕作して中流の生活を営んでいたが、その一方においては居町小学校PTAの副会長などをもしたことのある者であること

(3)  原告一家と被告一家とは従来何らの交際もなく全く無関係であつたのであるが、昭和三〇年四月三日頃被告の知人である野口次夫が当時原告方に雇傭されていた某女に会うため原告方を訪問した際、被告もまた野口に同道して原告方を訪れ、そのとき初めて被告は君枝に面接したものであること

(4)  右当日被告は君枝には原告なる夫があることを知りながら、機会をみつけるや逸早く同女を襲つて接吻を試み、更に同月七日君枝がその子を入学式に連れていつたことを知るや、その帰途に待伏して同女を誘い、附近の山中に連行した上、かなり強引に初めて同女と情交を結んだものであること

(5)  その後事のなりゆきを心配した君枝が被告に対して相談すると、被告においては「自分は身体も頑健だし、知識も人後に落ちない。そして自分は関係を持つた女に対しては何処までも責任をもつ気性だし、現在の妻とは気が合わないから自分としては何時でも妻と別れ家を出て新生活をしてもよい心算である。お前は何も心配する必要はない」旨を繰返し、その後においてもしきりに原告の不在を見計つては原告方を訪ねて君枝に会い、君枝が外出するようなときはよくその身辺を徘徊するようなことをしていたが、偶々君枝から強く出られた場合いおいては、常に「既に自分とお前とは関係があるではないか。自分のいうことに従わないとどうなるか分らないぞ」と申し向けておどかした上、その情交関係を継続していたものであること

(6)  被告は君枝に対して予てより「家出をするときは何でも持出せ」と申し向けていたが、君枝においては遂に昭和三〇年五月二日家出をすることを決意し、原告に何らの断りもなく、当時三歳の幼児を含む若年の子女四名を放置したまま家財道具類を持出して出奔し、直ちに被告が予てから同女のために借用手続を済していた香川県香川郡香川町川東の某所に赴き、同所に落着いた。しかし同所には原告の探索が次第に近ずきつつあることが分つたので、同月四日被告の指示によつて同郡仏生山町の某所に移つたところ、その頃には既に原告において警察に対し妻の所在調査を願い出ていた関係上、同所においては君枝の滞在を好まなかつた。そして被告からも若し同所におれなくなつたときは自分自身において然るべく身の振り方を定めろといわれていたので、君枝としては致し方なく即日高松市に出てきた上、各所を徘徊したが、結局ある小さな料理飲食店に身を寄せて暫く滞在するようになつた。ところがその頃になつて被告においては君枝に対ししきりにその実家への帰宅方を説くようになつたので、同女においては致し方なく同月七日頃同県綾歌郡綾南町に在る実家の小林久夫方に身を寄せるに至つた。しかもそれらの期間中及びその後においても、被告と君枝とは引続き被告の呼出によつて屡々密会し情交を重ねていたのであるが、その際における諸費用などは殆んどすべて君枝の手許からのみ支弁せざるを得ない実状であつた。その内同年七月一五日に至り君枝は仲人の言に従つて漸く原告方に復帰したが、同女においてはそれまでにうけた重なる心労と無理な生活がたたつてその頃既に肺結核を発病していたものであること

(7)  一方原告においては妻の右出奔にいたく驚き、確たる事情も判明しないままに諸所を徘徊してその所在の探索に努めたが、その頃になつて漸く被告と妻との仲について疑惑を抱きはじめたので、被告に対しても妻の行方を問い質すようになつた。しかし被告においては終始何も知らないと答えるのみであつて、そこからは何らの手掛りをも得られず、原告としては徒らに焦慮するのみであつた。しかも元来原告の人柄が社会生活を営む面においてやや洗練されていない方に属するものである関係上、妻の出奔という異常事態が通常人以上に強く影響し、その出奔中幼児を含む若年の子女四名をかかえた原告としては、そのなすところを知らずして全く惑乱した生活を送つたのであつて、そのことが後日にまで色々と尾をひいたのである。即ち、既に君枝が帰宅した後であつたとはいえ、その所有していた田の中二反を他に売却しなければならなくなつたり、或いは君枝の出奔までは順調になされていた豆腐製造卸業にしても、その中心となるべき同女が抜けたため休業のやむなきに至り、果てはその製造用具をも失う破目になつて現在では全く廃業状態に陥つているというような事態を生じているのである。しかも君枝は帰宅後肺結核がだんだんと進行し現在ではかなりの重症と認められる程度にまで悪化しているのであつて、これら一連の事情からして原告一家の家計は目下のところ極めて苦しい状態に追込まれているものであること

(8)  右のように君枝も被告も昭和三一年九月中旬頃になつて原告に対し従来の不倫関係をすべて認めたわけであるが、君枝の立場からすると、同女としてはそれまでの被告との関係において相当多額の金員を自らのみにおいて出費し負担してきたものであるにも拘らず、被告においてはその後においても全くその点について格別意を払おうともしない反面、君枝自身としては日々の医療費にも事欠く状態が続いたので、やむを得ず所轄の仏生山警察署に相談した結果、同年一〇月一〇日に至り同署警察官が斡旋して、被告は君枝に対し本件をめぐる一切の支払として金二万円を支払い、且つ今後両者は一切の関係を絶つべきことを誓約するに及んだものであること

(9)  被告は本件以前においても予てから居町若しくはその附近においてかなり女出入が激しかつた方であつて、その点についてはかねがね自他ともに認めていたほどであるが、それらの結末においては概ね相手方のみが被害者となつた場合が多く、被告自身においては格別のぎせいを払うこともなく恬然としているような形跡が窺われ、本件においても、被告と君枝との本件不倫行為により、原告一家に対して右のような甚大な被害を蒙らしめ、そのため原告をして悲憤の余り数回にわたつて出刃包丁を携えて被告方を襲い、被告に対してそれを揮うような気配をみせて警察沙汰になるような行為に出させている反面、それが被告及び被告一家について及ぼした影響をみるに、被告の子の中の一人が本件の発生を嫌悪して居町を去つたこと位はあるけれども、それ以外に格別な物質的損害もなければ、又精神的損害としても原告一家のうけたそれと比較するとはるかに少ない程度のものであると考えられる形跡のあること

以上のとおり各事実を認めることができる。この認定に反する被告本人訊問の結果の一部はたやすく信用することができないし、他にこの認定を覆えすに足る資料はない。

(二)  以上の事実によると、被告は君枝が原告の妻であることを知りながら、これと情交関係を生じ、あまつさえ同女をして家出をすら決行せしめ、その結果原告に対して右認定のような損害を蒙らしめたわけであるから、被告の該行為は原告に対し君枝と共同でなした不法行為であると観念しなければならない。従つて被告は原告に対し不法行為者としてそれによつて原告の蒙つた損害を賠償すべき筋合であること勿論である。

(三)  ところが被告においては、被告が本件において原告に負うべき損害賠償債務については昭和三一年一〇月一〇日仏生山警察署において被告が原告と君枝に対し金二万円を支払つたことによつて消滅している旨を主張する。そこで考えるに右の日に右の場所において被告が金二万円を支払つたことは前記(一)の(8)において認めたとおりであるが、その支払つた相手方は君枝に対してであることもまた同所において認定したとおりである。そしてその金員が原告との関係においても所謂示談金の性質をもつものであるかどうかということについては、それを積極に述べている被告本人訊問の結果はたやすく信用することができないし、他にその点を積極に認めるに足る資料はなく、かえつて証人細井君枝の証言によるとそれは専ら君枝と被告との関係において授受されたものであることを認めることができる。従つて被告主張の右抗弁は採ることができない。

(四)  そうすると被告は原告に対し本件不法行為による損害賠償義務を免れることができないから、すすんでその義務の履行方法について考えてみるに、原告は本訴においてその精神的苦痛による損害についての慰藉料の支払と、毀損された名誉の回復方法としての謝罪公告の掲示とを求めているわけである。そこで先ず前者について考えてみるに、前記認定の各事実及びその他本件における一切の事情を綜合して判断すると、本件において被告が原告に対し支払うべき慰藉料は金一二万円を以て相当とするものと認められる。従つて被告は原告に対し金一二万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三一年一二月一五日からその支払の済むまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。次に後者について考えるに、本件の如き性質の行為によつて毀損された原告の名誉の回復ということについては、単に被告から金員の支払をうけることのみによつてはその目的を達し難いこと特に説明するまでもないのであつて、いくらかでもその目的を達するについて効果があると考えられるのは謝罪公告であること今更いうまでもない。そこで考えるに、通常謝罪公告というものは新聞紙上などに掲示してこれをなす例が多いけれども、本件においてはその公告の効果が生ずることの期待される地域が余り文化的でない一地方の極めて限られた区域であることを思料すると、その頒布地域がかなり広大となる新聞紙上の掲載を以てしては、地域的の面からすると必要以上のこととなり、又閲覧可能性という面からすると、その閲覧者の範囲がかなり限定されるという意味において若干不充分であるといわなければならない。そこで本件において原告の名誉を回復する方法としては、新聞紙上掲載による公告は適当でなく、多少穏当を欠ぐ嫌いはあるが、被告に対し別紙第二目録記載の書面をその居町である香川県香川郡香川町役場掲示板附近の原告指定の個所において引続き三日間掲示すべきことを命ずるのが必要にして充分な方法であると認める次第である。

(五)  以上のとおりであるから、原告の本訴請求中、先ず金員支払の部分については右(四)前段において認めた限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし、謝罪公告掲示請求の部分については右(四)後段の程度を以て相当と考えるから、この程度において認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条但書、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を(但し謝罪公告の部分については仮執行の宣言を付することが相当てないから、これをつけない)、それぞれ適用した上、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂上弘)

別紙 第二目録

陳謝文

私は今般高松地方裁判所の判決により貴殿に対し慰藉料を支払うこと及び当所に本件陳謝文を掲示することを命じられました。これは先年私が貴殿の妻を誘惑するという不徳の過ちをおかし、そのため貴殿御一家の平穏な家庭生活を破壊し、貴殿の名誉を毀損し、貴殿に対して多大の損害を与えたことに因り、これが賠償を計る目的を以て裁判所が私に対して命じたものであります。常識ある社会人の私が右のような事件を起しましたことは、何とも申訳のないことでありまして、これ全く私において至らなかつたことによるものであります。よつて茲に謹んで貴殿に対し陳謝の意を表すると共に、今後かようなことのないように戒心することを誓う次第であります。

小松定夫

中井達夫殿

但し右文言は縦三〇糎横四五糎の板若しくは紙に墨書するものとし、その板若しくは紙はその下端が地面より一米の高さにあるよう適宜の方法で位置せしめるものとする。

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